
梅雨が明けて以降、京都はとても暑いが、東海地方も同様だ。最高気温40℃を超える日も出てきた。そんな中、忍者と松尾芭蕉の町、三重県の伊賀上野に行ってみる。京都駅からは、JR奈良線で木津駅まで行き、大和路線に乗り換える。1駅先の終点加茂駅からは亀山駅行きの関西線が出ているのでそれに乗る。この路線は単線・非電化の部分もあるため、京都駅から伊賀上野駅までは約2時間かかる。伊賀上野駅からは、近鉄子会社の伊賀鉄道が出ていて、上野市駅までは5分ちょっと着く。
上野市駅のすぐ北側にあるのが上野公園で、公園のほぼ真ん中に伊賀上野城の天守閣がある。また公園内には、俳聖殿と芭蕉翁記念館もある。伊賀上野城の天守閣は、1612年慶長の地震で倒壊した。その後ずっと天守閣を持っていなかったが、昭和の時代になって地元の代議士川崎克が再建した。江戸期の城には、築城の名手といわれた藤堂高虎が関わっていたことで有名だ。HPには、次の2つの文章が紹介されている。
『虎の城』(火坂雅志 祥伝社刊)
高虎はおのれの持っている築城術のすべてをこの城に投入した。・・・この筒井氏時代の旧城を、高虎は新たに規模を三倍に拡大して縄張りした。本丸を西に向かってぐいと迫り出させ、幅十五間(約二十七メートル)の水壕を掘り、その内側に、高さ十七間(約三十一メートル)という日本一の高石垣を築き上げた。いま伊賀上野城の城跡をたずねてみると、急勾配にそそり立つ高石垣の存在感位圧倒されるばかりである。(作品本文より)
甲賀と伊賀のみち『街道をゆく』(司馬遼太郎)
伊賀上野城は戦国時代末期の城である。・・・徳川家康が大坂城の豊臣秀頼を攻める計画をたてたとき、万一敗北した場合の手当もしておいた。その場合、嫡子の秀忠を近江の彦根城まで交代させ、自分はこの伊賀上野城まで後退して、攻撃再開の準備をするつもりだった。その秘策も藤堂高虎にあかし、高虎をして堅固な城をつくらせた。・・・高虎は、信頼されたことをよろこび、五層の天守閣という、伊賀のような小国には大きすぎるものをつくった。(作品本文より)
藤堂高虎については、安倍龍太郎さんも「下天を謀る」で書いている。
(家康は大坂豊臣家との戦いに備えて、1608年藤堂高虎を伊予国から伊勢国安濃津と伊賀国に配置替えした)
津に荷揚げした兵糧をここ(伊賀上野城の長倉)にたくわえ、木津川水運をもちいて大坂に送る
高虎の修築の目的は、この城を西(大坂方)から攻めて来る敵にそなえてきずき直すことだった。城の西側に高さ約二十七メートル、幅約三百六十メートルの高石垣をきずいて本丸とし、五層の天守閣を建てて西方ににらみを利かせることにした。
帰りは、行きとは違うルートで京都に向かってみる。JR伊賀上野駅から関西線で柘植(つげ)駅に行く。ここは草津線の始発駅だ。そして終点草津駅まで行き、草津駅から東海道線で京都駅まで戻る。この経路も乗り換えを待つ時間が結構かかるため、約2時間を要した。今回たどった「京→山城→大和→伊賀→甲賀→近江→京」というルートは、今はディーゼル車が山間部縫って走る区間が長いが、昔からしっかり繋がる道があった。そんなことを実感できるルートだった。
酷暑の中高石垣を見上げる
□公共交通機関の使用による訪問難易度
- 伊賀上野城(易)








