よそもんが京都で暮らす

退職して京都に移住して2年目突入!

2023-01-01から1年間の記事一覧

龍馬は東山の頂から京都の街を見ている

この坂本龍馬と中岡慎太郎像は、円山公園にもある 霊山(りょうぜん)護国神社は、祗園から東大路を渡って、高台寺南門通に入り、高台寺を左手に見ながら維新の道を登りきったところにある。勤王の志士や鳥羽伏見の役以来の戦没者を祀るため、明治元年に創立…

あの世とこの世を隔てる六波羅の地

街中にある六波羅蜜寺 鴨川の東岸、松原通(旧五条大路)の南側の一帯は「六波羅」と呼ばれる。つまり当時は「洛外」である。六波羅蜜寺に因む地名らしい。 六波羅は、平安京の東の埋葬地鳥辺野(とりべの)への入り口に当たり、延暦年間(782〜895)に開か…

京都市の地下鉄と市バスについて

このところ「オーバーツーリズム」が問題視されている。京都市内でも、乗ろうとした市バスに満員のため乗れないケースも出てきているので、路線・系統や曜日・時間によっては、キャパシティオーバーになっているのは間違いない。そこで、京都市交通局が運営…

日経ビジネス「炎上防止の新流儀」

日経ビジネス2023/12/11号の特集「炎上防止の新流儀」が面白かった。 2023年12月11日号:日経ビジネス電子版 記事にあるこの表の通り、企業や団体にコンプライアンスやガバナンスが求められるようになっている昨今、2023年も毎月のように炎上事案があった。 …

平安京の南を護る城南宮

城南宮は庭も美しい 引越しをしたので「方除(ほうよけ)の大社」とされる城南宮に行ってきた。地下鉄竹田駅から南西方向に歩いて15分くらいのところにある。京都の人は、新築・転居・旅行などの際に、ここでお祓いをしてもらうようだ。 城南宮の歴史は古い…

きっとこれが最後の引越し

米国ニュージャージー州のアパートのベランダから。ハドソン川の向こうはマンハッタン島 今回は単なる思い出話です! 先日、18回目の引越しをした。2016年に思い切って断捨離を済ませたので荷物はあまり多くないが、それでもいざ引越しとなるとなにかと忙し…

街中の大寺、建仁寺

建仁寺法堂の「双龍図」は写真撮影可 現在でも、祇園に大きな寺域を残す建仁寺は鎌倉時代創建の臨済宗のお寺。パンフレットには「京都最古の禅寺」とある。1202年に、鎌倉幕府2代将軍源頼家が寄進した土地に、宗から臨済宗を持ち帰った栄西を招いて開かれた…

御霊神社の裏手から寺町通りを下ル

楼門の傍には応仁の乱勃発地の碑がある 地下鉄鞍馬口駅からすぐのところに御霊神社がある。平安遷都の際に、50代桓武天皇の勅願で、早良親王(桓武天皇の弟)他八柱の御霊を祀ったのが始めだとされるが、この地には以前から出雲氏の氏寺・上出雲寺があり、元…

初めて入った京都御所

紫宸殿には天皇の御座である高御座と皇后の御座である御帳台が安置されている 地下鉄今出川駅で降りて、京都御所の秋の特別公開(11/22〜11/26)に行ってきた。清所門から入り、御車寄、紫宸殿、清涼殿、小御所、御学門所、御常御殿と順路に沿って進んだ。御…

空海と最澄が会った乙訓寺

最澄が空海を訪ねてきた乙訓寺 阪急長岡天神駅から北に向かって約20分歩いたところに乙訓寺(おとくにでら)がある。 この寺は京都最古の寺と言われる広隆寺(603年創建)と同時期にはあったらしく、聖徳太子の建立とされる。784年に50代桓武天皇が長岡京に…

田舎に帰ってきた

象の鼻のような形の象鼻が岬(ぞうびがさき) 2年振りに山口に帰省してきた。高校を卒業するまでここで育った。 地元の中核都市は周南市。以前は徳山市という名前だった。JRの駅名や高校の名前は徳山のまま残っている。そして、自分の田舎は、徳山から電車で…

足利尊氏が開いた等持院

方丈(本堂)は妙心寺塔頭海福院から移築された 嵐電で、御室仁和寺から北野白梅町に向かうと、終点の1つ手間の駅が「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」である。駅から住宅街を少し北に上ると等持院の門が見えてくる。 等持院は、1341年に足利尊氏が天龍…

空海の自筆が残る御室仁和寺

京都御所の紫宸殿を移築した仁和寺金堂 先日、世界遺産仁和寺の特別拝観を見てきた。国宝の金堂の裏側(須弥壇背面の裏の壁)に描かれた五大明王の壁画が公開されている。 真言宗御室派 総本山仁和寺 |【第51世門跡再任記念】377年、初公開から5年。ふたたび…

こんなところに…白山神社

夕暮れ時、提灯の光に浮かび上がる白山神社 街をぶらぶら歩いていると、いろんな発見がある。普段からこの通りは歩いているはずなのに、時間や天気が違うだけで、「こんなところに、コレあったっけ?」となる。 最近、出会ったコレが白山神社である。日暮れ…

「先斗町」って読めますか?

細い路地が続く先斗町 京都に住んでいると、観光や出張のついでに友達が訪ねてきてくれる。とてもありがたい。「ついで」でも何でも構わない。近況を交換して、むかし話に大笑いする。 出来るだけ京都っぽいお店に連れていってあげたいと思うものの、星の数…

もうすぐ紅葉の季節

観光客向けオフィシャルサイト「観光Navi」で、紅葉だよりの情報提供が始まった。11月上旬までは毎週金曜日、11/14からは毎週火曜・金曜の週2回更新されるそうだ。 紅葉だより|【京都市公式】京都観光Navi 情報が更新されるエリアは次の通り。 京都観光快適…

京都市の人口を知っていますか

10/21付け京都新聞朝刊に次のような記事があった。 京都市の9月末までの1年間の「転出超過」(転出者が転入者を上回る)は1782人となった。その移動先を見ると、大津市とは1039人、亀岡市とは270人の転出超過になっている。住宅価格の高騰などで、京都市は子…

平安京遷都の日を時代祭で祝う

時代祭のメインイベントは行列 10/22は時代祭だった。今年、新装となった京都競馬場の菊花賞と日程が重なり、どちらに行くか悩んだが、結局時代祭を選んだ。1月に京都に来て、5月の葵祭、7月の祇園祭、そして10月の時代祭と、京都三大祭を見ることができた。…

京都観光快適度マップを知っていますか

画像は京都観光快適度マップのHPから 混雑回避に役立つ京都観光快適度マップ|【京都市公式】京都観光Navi 京都観光快適度マップなるものがあるらしい。市内観光エリアの混雑度を予測してアイコンで表示している。 「これまで使っていなかった外国人観光客の…

嵯峨のお釈迦さまと阿弥陀さま

国宝釈迦如来をまつる清涼寺本堂 10月〜11月の間、秋の特別拝観を行っている嵯峨釈迦堂・清涼寺に行ってきた。四条烏丸からは、91系統大覚寺行きのバスに乗って、終点大覚寺の2つ手前のバス停「嵯峨釈迦堂前」で下車する。バス停からすぐのところに嵯峨豆腐…

曽根崎は梅田からすぐ

昼呑み客でいっぱいのお初天神通り 梅田に用事があったので、お初天神にお参りしてきた。ここは近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」の舞台。正式には露天神社(つゆのてんじんしゃ)というが、曽根崎心中のヒロイン「お初」に因んで、お初天神と呼ばれて…

大谷翔平選手が本塁打王のタイトルを獲る

10/2(日本時間)、大谷翔平選手のMLBアメリカンリーグの本塁打王が確定した。3月のワールド・ベースボール・クラシックの大興奮から始まった今シーズンは、開幕から二刀流で大活躍、通算44本のホームランを放って、見事に本塁打王のタイトルを獲得した。打…

1001体の千手観音、三十三間堂

観光庁の多言語解説文データベースは、次のように解説している。 1086年頃から100年ちょっとの期間、それまでの伝統を破って日本の政治と経済を直接コントロールしようとする天皇が続けて現れた。彼らの成功の鍵は「退位」にあった。退位することにより、巨…

F1日本グランプリ鈴鹿に行ってきた

今年もF1日本グランプリに行くことができた。あの音と匂いを一度でも味わうと、毎回「来年もまた来よう」と思う。 ドライバーもチームもFIAも鈴鹿サーキットも、そして今年はブルーインパルスも、みんなが最高のイベントにしようと頑張っている。近鉄もJRも…

みかえり阿弥陀に癒される永観堂

多宝塔からは京都市街を一望できる もみじの永観堂(えいかんどう)は正式には禅林寺という。お隣が南禅寺である。 853年に空海の高弟であった真紹(しんじょう)が真言宗の道場を作ったことを起源とし、863年に清和天皇によって勅願「禅林寺」となる。1080…

古都再見と京都はんなり暮し

鴨川に沿って流れる高瀬川のほとりに葉室さんの仕事場はあったらしい 子供の頃、司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」を読んで高杉晋作に憧れた。オヤジの歳となって、葉室麟さんの「春風伝」を読んで高杉晋作を再び思い出した。 新装版 世に棲む日日 1-4巻 セ…

京都検定は20周年

9/13付の京都新聞は「京都検定 人気なお断トツ」という記事を載せている。京都商工会議所主催の「京都・観光文化検定(京都検定)」は20周年を迎えるが、全国のご当地検定の中で未だに断トツの受験者数を維持している。京都検定の受験者は毎年6000人を超え、…

秀吉の政策でできた寺之内

千利休遺構不審庵(表千家) 地下鉄烏丸線の今出川駅で降りて、寺之内通りを堀川通り方向に歩いてみた。現在の寺之内通りは、途中で曲がっている箇所もあるため、地図アプリを確認しながら進まないと迷ってしまう。 この寺之内通り沿いには、1583年以降、秀…

東寺は空海のお寺

高さ55メートルの国宝五重塔は1644年に徳川家光の寄進によって竣工 平安京の南の端にあった東寺は、796年に官寺として創建された。そして、今から1200年前の823年、嵯峨天皇は、唐で密教を学び正統な継承者となった弘法大師・空海に東寺を託した。 空海は、…

なぜ車は左側通行になったのか

宮本武蔵・吉岡一門の決闘の地、一乗寺下り松 9/6付の京都新聞夕刊に、フレデリック・クレインス国際日本文化研究センター教授が書いていた。 明治初期に日本が左側通行を選んだ理由は武士文化にその由来があると言われている。戦国時代の道幅は今よりも狭か…