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松尾大社は秦氏の氏神

松尾大社は平安京遷都以前からあった

松尾大社平安京遷都以前からあった

前回の投稿で西芳寺について書いた。

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西芳寺参拝の後、松尾大社の摂社である月読神社に立ち寄り、そして松尾大社まで歩いた。15分程の距離である。

松尾大社は、秦氏が一族の氏神として信仰した古い社が起源とされる。大宝元年(701)に現在の地に社殿が造営された。大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭り、境内には、霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があり、醸造(酒・味噌・醤油・酢)の祖神といわれる。

因みに、千本鳥居で有名な伏見稲荷大社も、平安京遷都以前の和銅4年(711)に稲荷山に神が鎮座されたことを起源としているが、それ以前から秦氏にゆかりのある社であったようだ。伏見稲荷大社のHPには、次のように記している。

大津父の時代を下った山城国における秦氏族の本拠地は右京の太秦であるとされています。たしかなことは不明ですが、深草秦氏族は系譜の上で見る限り、太秦秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が、稲荷社を祀った秦伊呂巨(具)《はたのいろこ(ぐ)》となっており、いわば分家と考えられていたようです。

この太秦秦氏族は、7世紀頃、今の桂川の大堰を築堤したり、奈良期から平安期にかけて、当時外戚として勢力を伸ばしてきていた藤原氏と姻戚関係を結び、長岡遷都やこれに引き続いて行われた平安遷都の際にも、河川の改修や都城の造営等で大いに影響を与えたとされています。

また一方において、山背国における古くからの由緒正しい豪族である賀茂県主族とも早くから姻戚関係を結んでおり、ついには賀茂県主の子孫を自称するようになるのです。言うまでもなく賀茂県主族は天下の名社・賀茂社を奉祀していた名族で、新参の渡来氏族が彼と結びつくことによってその名をとり、一方賀茂氏族の側にあっては、そうなることによっておそらくは当時としては近代的な文化及び経済などの実をとったのであろうと考えられています。

こうして太秦秦氏族は、記録の上では大宝元年(701)桂川畔にそびえる松尾山に松尾神を奉鎮、深草秦氏族は、和銅4年(711)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして、御神威赫々たる大神があたかも鼎立する結果となったのです。

この解説を読んで、平安京遷都よりも前から、京都盆地の3方に、賀茂神社松尾大社、伏見稲盛大社が存在していたことを知った。

お詣りした後、境内にある撫で亀の甲羅を撫でて不老長寿を祈る。桜にはまだ少し早かったが、西芳寺から松尾大社までは、渡月橋界隈と違って、静かな散歩コースだった。

□公共交通機関使用による訪問難易度