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なぜ車は左側通行になったのか

宮本武蔵・吉岡一門の決闘の地、一乗寺下り松

宮本武蔵・吉岡一門の決闘の地、一乗寺下り松

9/6付の京都新聞夕刊に、フレデリック・クレインス国際日本文化研究センター教授が書いていた。

明治初期に日本が左側通行を選んだ理由は武士文化にその由来があると言われている。戦国時代の道幅は今よりも狭かった。京都ではその名残が特に見られる。刀を左側に差している武士同士が道ですれ違うと刀の鞘がぶつかる可能性があった。それは無礼な行為として、命をかけた喧嘩に至る危険があった。それゆえに、戦国時代以降の武士は礼儀作法として自然に道の左端を歩くようになった。日本が左側通行を採用したのは、無用な衝突を回避するための礼儀作法が根付いていたからではないかと筆者は思う。

ググッてみたら、大阪府警察やJAFのサイトにも同じように書いてあった。

質問31:日本(にほん)では、なぜ「車(くるま)は左側通行(ひだりがわつうこう)、人(ひと)は右側通行(みぎがわつうこう/大阪府警本部

なぜ日本は左側通行なの? | JAF クルマ何でも質問箱

宮本武蔵は二刀流だったが、肖像画を見ると、両刀とも鞘は左側に出ている。バガボンド21巻も同じだった。

 

 

□公共交通機関の使用による訪問難易度
一乗寺下り松(易)