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空海と最澄が会った乙訓寺

最澄が空海を訪ねてきた乙訓寺

最澄空海を訪ねてきた乙訓寺

阪急長岡天神駅から北に向かって約20分歩いたところに乙訓寺(おとくにでら)がある。

この寺は京都最古の寺と言われる広隆寺(603年創建)と同時期にはあったらしく、聖徳太子の建立とされる。784年に50代桓武天皇長岡京に遷都を決めた時に、京内七大寺の筆頭として、この寺を大増築したと伝わる。翌785年には造長岡宮使藤原種継の暗殺事件への関与が疑われた早良親王桓武天皇実弟)がここに幽閉され、結局、早良親王は非業の死を遂げる。この祟りを恐れた桓武天皇長岡京を捨て、平安京に遷都することを決めた。

また、乙訓寺は空海別当を務めた時期があり、その時にここで最澄と会ったようだ。司馬遼太郎さんの「空海の風景」には、次のように描かれている。

空海は乙訓寺在住を一年できりあげ、高雄山寺にもどる。辞表を書き送った日に乙訓寺を去るのだが、去った日が、弘仁3年(812年)10月29日である。その前々日の27日に、空海が予期したことかどうか、最澄が乙訓寺を訪ねてきたのである。(中略)信じがたいことだが、両人が地上で相会ったのは、これが最初であった。

現在の乙訓寺は、住宅地の中にあって観光客もそれほど多くなさそうだった。実は、自分も紅葉の名所である光明寺の帰りにちょっと足を伸ばして寄ってみた次第。過去にここで起きた出来事を想うと少しもったいないようにも感じた。


□公共交通機関使用による訪問難易度