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退職して京都に移住して2年目突入!

あの世とこの世を隔てる六波羅の地

街中にある六波羅蜜寺

街中にある六波羅蜜寺

鴨川の東岸、松原通(旧五条大路)の南側の一帯は「六波羅」と呼ばれる。つまり当時は「洛外」である。六波羅蜜寺に因む地名らしい。

六波羅は、平安京の東の埋葬地鳥辺野(とりべの)への入り口に当たり、延暦年間(782〜895)に開かれた珍皇寺(ちんこうじ)の前があの世とこの世を隔てる「六道の辻」であるとされてきた。閻魔庁の役人伝説がある小野篁(おののたかむら)はここから冥府に通ったと伝えられる。

一方、六波羅蜜寺は、951年に60代醍醐天皇の第二皇子であった「市の聖」空也が開いたお寺である。空也が始めたと伝えられる踊り(踊躍)念仏は今もこの寺に残っている。

12世紀の初め、平清盛の時代には、六波羅には平家一門の屋敷が並んだが、平家滅亡の後、この地は源頼朝に与えられた。1221年の承久の乱以降、鎌倉幕府は朝廷に睨みをきかせるために六波羅探題をここに置いた。

六波羅蜜寺の宝物館はなかなか面白い。教科書で見たことがある仏像が2つある。1つは空也上人立像。口から出た一本の線に「南無阿弥陀仏」を表す6体の仏像が載っている。運慶の四男康勝の作とされる。もう1つは平清盛坐像。どちらの仏像もとてもリアルで驚く。

□公共交通機関使用による訪問難易度