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退職して京都に移住して4年目!

明日香村で古墳巡りの一日

キトラ古墳 実物大の精巧な石室レプリカには驚いた

キトラ古墳 実物大の精巧な石室レプリカには驚いた

キトラ古墳壁画(天井に描かれた天文図)の特別公開チケットが取れたので、奈良の明日香村に行く。京都駅からは、近鉄急行で橿原神宮前駅まで70分、ここで吉野線に乗り換えて飛鳥駅まで4分で着く。

最初は、牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)に行く。飛鳥駅からは歩いて約15分の距離。HPの解説は次の通り。

飛鳥時代、史上初めて2度天皇となった皇極・斉明女帝(35代・37代)。中大兄皇子(38代天智天皇)の母。
彼女が娘と孫娘と一緒に眠る古墳が、牽牛子塚古墳・越塚御門古墳です。今回、飛鳥時代の天皇陵の象徴である、八角形の墳丘が整備され現代によみがえりました。

飛鳥駅に一旦戻り、早めのランチをした後、タクシーでキトラ古墳四神の館に向かう。5分の距離。ここの四神の館の展示は面白かった。HPの解説は次の通り。

キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されています。名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があります。

1983年11月7日に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集めました。2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定されました。 石室の天井には本格的天文図が、壁には四つの方位を守る神とされる四神や十二支の美しい絵が描かれています。国営飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区の南に位置しています。

7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されています。古墳時代と呼ばれる時代の終わり頃です。この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さくなりました。

天武天皇(40代)の皇子である高市皇子、高官であった百済王昌成、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人など、いろいろな人物が想像されています。また、金や銀を使った副葬品や豪華な装飾をほどこしたと推測できる木棺などから、かなり身分の高い人のお墓であったことがわかります。

天井に描かれた天文図は、現存する世界最古の科学的な天文図です。天の赤道や太陽の通り道である黄道が描かれ、大きな呪術的力を持つとされた北斗七星をはじめとする中国式の星座が配置されています。太陽と月も描かれています。

最後の目的地は高松塚古墳、今日は雲が出ていて、そよ風も吹いていた。田園風景の中をゆっくり30分くらい歩いた。HPの解説は次の通り。

7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳です。当初は、盗掘を逃れ残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期のものと推定されていましたが、2005年の発掘調査によって、藤原京期(694年~710年)の間と確定されました。被葬者は特定されておらず、3つの主な説があります。

高松塚のバス停で、明日香村をほぼ1周する赤バスに乗って、橿原神宮前駅まで。ここからは京都駅まで近鉄特急ビスタカーで50分で戻る。

明日香村は20年以上前に一度来ているが、今回訪ねた牽牛子塚古墳、キトラ古墳、高松塚古墳はまだ観光地にはなってなかった。この四半世紀の間にも、さまざまな新しい発見があったということだ。

いにしえの墳墓の里の青田風

□公共交通機関使用による訪問難易度

  • 牽牛子塚古墳(易)
  • キトラ四神の館(中)
  • 高松塚壁画館(易)