よそもんが京都で暮らす

退職して京都に移住して2年目突入!

韓国陶工が作り出した薩摩焼

階段上に連なる窯が残っている

階段上に連なる窯が残っている

2月の3連休に、2泊3日で鹿児島に行って来た。伊丹から飛行機で行くつもりだったが、新幹線でも4時間と少しで行けることがわかったので、今回は新幹線を使ってみた。

最初に、鹿児島県日置市美山にある沈壽館(ちんじゅかん)窯を訪ねた。新幹線で鹿児島中央駅に着いた後、在来線(鹿児島本線)に乗り換えて、伊集院駅まで20分弱、そこからはタクシーを使った。

1598年、朝鮮(慶長)の役で薩摩軍島津義弘によって日本へ拉致された数十人の朝鮮陶工が「薩摩焼」の祖となった。その中の一人が初代沈当吉氏。現在の当主は15代目になる。沈壽館窯を訪ねたかったのは、お世話になった方から退職祝いにここの品を頂いたこと、そして司馬遼太郎さんが「故郷忘じがたく候」にここの物語を書いていたことが理由だ。

「故郷忘じがたく」といったかれらの故郷は、全羅北道南原(ナモン)城である。城の東に雲峰烏嶺をひかえ、南に三浪大江をめぐらし、北西の天に蘆嶺山脈を望んでいる。

かれらの言うのに、その山侍楽という丘にのぼればわれわれがやってきた東シナ海がみえる、その海の水路はるかかなたに朝鮮の山河が横たわっている、われわれは天運なく朝鮮の先祖の墓を捨ててこの国に連れられてきたが、しかしあの丘に立ち、祭壇を設け、先祖の祀りをすれば遥かに朝鮮の山河が感応し、かの国に眠る祖先の霊をなぐさめることができるであろう、かれらは涙をうかべつついうのである。

島津義弘はすでに晩年を迎えている。かれはこの島津家のあたらしい象徴をいよいよ醇化(じゅんか)するために苗代川を藩立工場にし専心製陶の指導につとめる一方、世間に対して薩摩焼の稀少性を保つために白薩摩に限り、島津家御用以外は焼くことを禁じた。

沈壽館窯は、静かな集落の中にあった。周辺にも薩摩焼の工房が散在している。もちろん現在でも薩摩焼の制作は続いており、沈壽館窯の敷地内には博物館やギャラリー、カフェが併設されている。お土産に15代のぐい呑みを買ってきたので、これからは晩酌が楽しみになる。