よそもんが京都で暮らす

退職して京都に移住して2年目突入!

国宝建造物が8棟もある西本願寺

西本願寺飛雲閣の向こうに京都タワーが見える

西本願寺飛雲閣の向こうに京都タワーが見える

京都駅から歩いて行ける西本願寺には8棟の国宝建築物がある。この内、御影堂、阿弥陀堂、唐門は常時観ることができる。今回は飛雲閣(外観のみ)が特別公開されていた。残る4棟(書院、黒書院、伝廊、北能舞台)は、次の公開のチャンスを待ちたい。

もともと、本願寺は、京都大谷にあった親鸞の廟堂が発展したもの。織田信長と対立して1570年から石山戦争が起こるが、1580年に和議が成立した。浄土真宗本願寺派第11代宗主であった顕如(けんにょ)上人は、大坂石山本願寺を退去(跡地には豊臣秀吉によって大阪城が建てられた)し、紀伊(和歌山)、和泉貝塚、そして天満(大阪府)に移った。1591年に、秀吉によって再び京都に帰ることとなり、六条堀川の現在地に移った。

阿弥陀堂と御影堂が最初に完成したのは、1592年のこと。同じ年に顕如上人が亡くなった後、長男である教如(きょうにょ)上人が跡を継いだが、三男の准如(じゅんにょ)上人にあてた譲状があったため、教如上人は一旦は隠退した。しかし、徳川家康に接近した教如上人は、1602年に家康から烏丸七条に寺地を寄進された。これが大谷派本願寺東本願寺)の起源であり、この時から本願寺は西と東に分かれた。

西本願寺はその後、地震や火災の被害を受ける。現在の御影堂は1636年に、阿弥陀堂は1760年にそれぞれ再建されたものである。御影堂は西本願寺の中で最も大きな建物で、親鸞が祀られている。本堂の阿弥陀堂には、本尊・阿弥陀如来が安置されている。御影堂と阿弥陀堂は廊下で繋がっているが、阿弥陀堂に向かって少し登っている。これは親鸞が本尊・阿弥陀如来を見上げる高さになるように設計されているらしい。

唐門は伏見城の遺構と伝えられる。飛雲閣も、1632年に聚楽第の一部が移築されたと言われている。左右対称ではない意匠が特徴的な飛雲閣は、金閣銀閣に並ぶ京都三名閣の一つとされている。

親鸞については、五木寛之さんが長編の物語を書いている。

親鸞は、西洞院松原辺りにあった屋敷で晩年を過ごした(1263年に90年の生涯を終えた地には諸説あるらしい)。そこは、ちょうど西本願寺東本願寺を結んだ中間地点から少し北に上ったところ、三角形の頂点に当たる。


□公共交通機関使用による訪問難易度