今回は、前回にも書いた天台宗山門派の五大門跡寺院のひとつ青蓮院(しょうれんいん)門跡について。ここには日本三不動画のひとつ、青不動がある(現在は将軍塚青龍殿に移されている)。
青蓮院は、三条通から神宮道を南に入ったところにある。もともとは比叡山東塔にあった住坊を起源とするが、現在ある場所は、後醍醐天皇の一代前の天皇であった花園天皇の菩提寺があったところのようだ。また、江戸時代の天明の大火によって御所が炎上した時には、後桜町上皇がここを仮御所としたため、粟田御所とも呼ばれている。
第三代門主の慈円は、歴史書「愚管抄」を記したが、他に、親鸞を得度させた人物として知られている。宸殿には「親鸞得度の間」がある。法然の門下となり綽空(しゃくくう)と名乗った若き日の親鸞の物語を五木寛之さんが書いている。また、『一個人』最新号の巻頭に、五木さんご自身が親鸞に共感した体験談を寄せている。
周辺一帯は、親鸞や法然とも関わりが深い場所で、隣には親鸞の娘覚信尼が建てた親鸞の廟堂、崇泰院(そうたいいん)がある。そしてその隣は浄土宗の総本山知恩院である。法然や親鸞が活躍した頃、比叡山から何人もの僧がここと比叡山を往来した場所だと想像すると、歴史をとても近く感じる。
□公共交通機関の使用による訪問難易度
- 青蓮院門跡(易)