豊臣秀吉が京都の邸宅として1586年から造営を始めた聚楽第、その北東角辺りに千利休の屋敷も建設された。ここは、秀吉の逆鱗に触れた千利休が1591年に切腹した場所らしい。この物語は山本兼一さんが「利休にたずねよ」に書いている。
この屋敷は、陰陽師安倍晴明を祀る晴明神社の隣にあったようで、晴明神社の二の鳥居横には「千利休居土聚楽屋敷 趾」と刻まれた石碑が建っている。
因みに、秀吉は1591年に甥の秀次を関白に就任させ、聚楽第も秀次に譲ったが、秀頼が1593年に生まれると、1595年には秀次を自害に追い込んだ。この際に聚楽第は破壊されたようだ。
晴明神社から堀川通を渡って少し東に行ったところに楽家と楽美術館がある。千利休は、中国伝来の均整のとれた茶碗から、侘び茶に合う不完全の美を持つ茶碗を目指して、焼物師の初代長次郎に手づくねの茶碗を作らせた。聚楽第から取った「楽」の字は秀吉から授かったといわれる。
焼物のことはよくわからないが、秀吉・利休・長次郎、当時のことを想像しながら歩くのは楽しい。
□公共交通機関使用による訪問難易度
- 晴明神社(易)
- 楽美術館(易)