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大徳寺金毛閣は曰く付きの三門

利休切腹の一因となった大徳寺金毛閣

利休切腹の一因となった大徳寺金毛閣

千玄室さんの講演を聞く機会があった。今年4月に100歳になられたが、1時間立たれたままで話をされて、たいへん驚いた。言うまでもなく、千利休から数えて15代目の裏千家家元である。


山本兼一さんが『利休にたずねよ』で、利休切腹の日から時間を遡る構成で小説を書いている。切腹の引き金となったのが、大徳寺の三門「金毛閣」である。


⼤徳寺の三⾨は応仁の乱で焼け落ちた後、1526年に初層部分が再建された。その60年後、千利休によって⼆層部分が増築された。寺は利休に感謝する気持ちを表わすため、上層に草鞋を履いた利休像を安置した。これが秀吉の怒りを買い、切腹の⼀因になったとされている。


千玄室さんは、講演で次のように話されていたと思う。

お茶は、’ceremony of tea‘ではなく’way  of tea’つまり茶道である。お茶を飲む間は、身分の隔てなく、何でも話ができる。これが千利休の目指した真髄である。


秀吉に最後まで頭を下げず、切腹する道を選んだ千利休。金毛閣にて千利休の思いを感じる。

 

□公共交通機関の使用による訪問難易度