よそもんが京都で暮らす

退職して京都に移住して2年目突入!

島津斉彬の実験場

仙巌園庭園から見る桜島

仙巌園庭園から見る桜島

霧島神宮から鹿児島中央駅に戻ってきた後は、市内の観光スポットを巡るカゴシマシティビューバスに乗って、仙巌園(せんがんえん)に行った。

仙巌園は、1658年に島津家19代光久によって築かれた別邸で、桜島を借景とする庭園がとても美しい。この日は雨は降らなかったものの、あいにくの空模様で、桜島には雲が掛かっていた。

ここは庭園の美しさもさる事ながら、自分は隣地に、28代藩主島津斉彬が建設した近代工場群「集成館」に興味があった。尚古集成館のHPには、次のように書かれている。

日本が植民地化されるのではないかと危惧した斉彬は、日本が一つにまとまり、産業を興し豊かな国に生まれ変わらせ(富国)、国を守るため軍備を強化すべき(強兵)だと考えていた。藩主就任(1851年)後はこの考えを実現させるため、磯に「集成館」という工場群を築き、ここを中核として多岐にわたる事業(集成館事業)を推進した。軍事品を作るのみならず、薩摩切子・薩摩焼の制作やガス灯・写真・活版印刷の研究にも力を入れた彼の政策は「富国強兵」の先駆けであった。

耐震リニューアル工事のため、尚古集成館(島津家博物館)が閉館していたのは残念だったが、大砲を作るための溶鉱炉反射炉を、海外文献を頼りに試行錯誤しながら、この地に造り上げた当時の人達の熱量を強く感じた。2015年7月には、集成館を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されている。