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平等院で阿弥陀如来の慈愛に触れる - よそもんが京都で暮らす
で、宇治の興聖寺には伏見城の遺構が使われていると書いた。同じく、伏見城の遺構が使われているお寺が養源院だ。
養源院は、三十三間堂のすぐ北側、道を隔てたところにある。織田信長によって29歳にして切腹させられた浅井長政を祀るお寺だ。浅井長政は織田信長の妹お市の方との間に3人の娘を授かっている。
養源院は、1594年、浅井長政の二十一回忌に豊臣秀吉の側室となった長女淀君によって創建された。1619年に火災によって焼失したが、その2年後に、今度は二代将軍徳川秀忠の正室となっていた三女お江によって再建された。
この際に、伏見城の遺構が用いられた。伏見城を守り、最期は自刃して果てた鳥居元忠を始めとする徳川方兵士の血で染まった伏見城の廊下が、本堂廊下の天井に使われている。
また、養源院には、俵屋宗達の絵が残っている。血天井の英霊を慰めるために書かれたらしいが、独特な図柄の「唐獅子」「麒麟」そして「白象」が描かれている。堂内が少し暗いのが残念だ。
養源院は、土日のみ拝観可のためか、想像以上に混んでいた。三十三間堂とセットで訪れたい。
□公共交通機関使用による訪問難易度
- 養源院(易)