前回の投稿で長谷川等伯について書いた。
波瀾万丈の人生のどこまでが史実でどこからがフィクションかはよくわからない。狩野派との確執は相当深刻に描かれている。千利休も等伯の人生に密接に絡んでくる。信長や秀吉が生きた時代の京都の姿を文章から感じることもできる。例えば
京の都は以前と変わらぬ活気を取りもどしているが、比叡山焼討ちによって大きく変ったことがふたつある。ひとつは賑わいの中心が鴨川東岸の祇園や六波羅から、西岸の河原町に移ったことだ。
中でも栄えたのは、東海道の粟田口にあたる三条通から、伏見口になる五条通までである。大津方面からの物資をこの地に運び込むために、鴨川にいくつもの橋がかけられた。三条、四条、五条の大橋ばかりか、その間にも細い橋をわたした。
当時洛中に住むようになっていた宣教師たちはこれを見て、何と橋の多い町だと驚き、ポンテ町と呼ぶようになった。それが先斗町の名の由来になったという。
とても読み応えがある力作だった。