よそもんが京都で暮らす

退職して京都に移住して2年目突入!

京都案内

こんなところに…白山神社

夕暮れ時、提灯の光に浮かび上がる白山神社 街をぶらぶら歩いていると、いろんな発見がある。普段からこの通りは歩いているはずなのに、時間や天気が違うだけで、「こんなところに、コレあったっけ?」となる。 最近、出会ったコレが白山神社である。日暮れ…

「先斗町」って読めますか?

細い路地が続く先斗町 京都に住んでいると、観光や出張のついでに友達が訪ねてきてくれる。とてもありがたい。「ついで」でも何でも構わない。近況を交換して、むかし話に大笑いする。 出来るだけ京都っぽいお店に連れていってあげたいと思うものの、星の数…

平安京遷都の日を時代祭で祝う

時代祭のメインイベントは行列 10/22は時代祭だった。今年、新装となった京都競馬場の菊花賞と日程が重なり、どちらに行くか悩んだが、結局時代祭を選んだ。1月に京都に来て、5月の葵祭、7月の祇園祭、そして10月の時代祭と、京都三大祭を見ることができた。…

嵯峨のお釈迦さまと阿弥陀さま

国宝釈迦如来をまつる清涼寺本堂 10月〜11月の間、秋の特別拝観を行っている嵯峨釈迦堂・清涼寺に行ってきた。四条烏丸からは、91系統大覚寺行きのバスに乗って、終点大覚寺の2つ手前のバス停「嵯峨釈迦堂前」で下車する。バス停からすぐのところに嵯峨豆腐…

曽根崎は梅田からすぐ

昼呑み客でいっぱいのお初天神通り 梅田に用事があったので、お初天神にお参りしてきた。ここは近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」の舞台。正式には露天神社(つゆのてんじんしゃ)というが、曽根崎心中のヒロイン「お初」に因んで、お初天神と呼ばれて…

1001体の千手観音、三十三間堂

観光庁の多言語解説文データベースは、次のように解説している。 1086年頃から100年ちょっとの期間、それまでの伝統を破って日本の政治と経済を直接コントロールしようとする天皇が続けて現れた。彼らの成功の鍵は「退位」にあった。退位することにより、巨…

みかえり阿弥陀に癒される永観堂

多宝塔からは京都市街を一望できる もみじの永観堂(えいかんどう)は正式には禅林寺という。お隣が南禅寺である。 853年に空海の高弟であった真紹(しんじょう)が真言宗の道場を作ったことを起源とし、863年に清和天皇によって勅願「禅林寺」となる。1080…

古都再見と京都はんなり暮し

鴨川に沿って流れる高瀬川のほとりに葉室さんの仕事場はあったらしい 子供の頃、司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」を読んで高杉晋作に憧れた。オヤジの歳となって、葉室麟さんの「春風伝」を読んで高杉晋作を再び思い出した。 新装版 世に棲む日日 1-4巻 セ…

秀吉の政策でできた寺之内

千利休遺構不審庵(表千家) 地下鉄烏丸線の今出川駅で降りて、寺之内通りを堀川通り方向に歩いてみた。現在の寺之内通りは、途中で曲がっている箇所もあるため、地図アプリを確認しながら進まないと迷ってしまう。 この寺之内通り沿いには、1583年以降、秀…

東寺は空海のお寺

高さ55メートルの国宝五重塔は1644年に徳川家光の寄進によって竣工 平安京の南の端にあった東寺は、796年に官寺として創建された。そして、今から1200年前の823年、嵯峨天皇は、唐で密教を学び正統な継承者となった弘法大師・空海に東寺を託した。 空海は、…

なぜ車は左側通行になったのか

宮本武蔵・吉岡一門の決闘の地、一乗寺下り松 9/6付の京都新聞夕刊に、フレデリック・クレインス国際日本文化研究センター教授が書いていた。 明治初期に日本が左側通行を選んだ理由は武士文化にその由来があると言われている。戦国時代の道幅は今よりも狭か…

9月の東福寺はまだ暑かった

臥雲橋から通天橋を撮った、よくある構図 JR奈良線で京都駅から一駅行くと東福寺駅。電車を降りて10分歩くと、東福寺の日下門に着く。 東福寺は、鎌倉時代1236年から1255年の19年を費やして、摂政九条(藤原)道家が作りあげたお寺。開山には円爾を迎えた。…

ローソクじゃなくて灯台!

四条烏丸から見る京都タワー 京都駅前に建つ京都タワーについては、この記事が詳しい。 intojapanwaraku.com 東京オリンピックには間に合わなかったが、1964年の暮れ、12月28日に営業を開始した。日本武道館(1964年10月3日開館)を設計した建築家山田守氏の…

青蓮院からお隣の知恩院へ

1621年に建てられた知恩院三門 前回、青蓮院について書いた。この隣にあるのが、1175年に法然が開いた浄土宗の総本山、知恩院。 jini3.hatenablog.com 法然は「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば、誰もが救われると説いた。この教えを広めるために、法然は比叡…

精霊が飛び交う夜

東山に浮かび上がる大文字 近畿地方を縦断した台風7号の影響が心配されたが、8/16(水)は晴天となり、五山の送り火は無事に行われた。20時に東山の「大文字」に火が灯され、以後5分おきに、松ヶ崎の「法」、西賀茂の「船形」、北山の「左大文字」、嵯峨の「…

法然や親鸞ともゆかりのある青蓮院

境内には大楠が残る青蓮院 今回は、前回にも書いた天台宗山門派の五大門跡寺院のひとつ青蓮院(しょうれんいん)門跡について。ここには日本三不動画のひとつ、青不動がある(現在は将軍塚青龍殿に移されている)。 jini3.hatenablog.com 青蓮院は、三条通か…

坂道を登り切ったところにある曼殊院門跡

静寂の中にある曼殊院門跡 白川通の一乗寺清水町バス亭で降り、山に方に向かって登っていくと、突き当たりに曼殊院門跡がある。曼殊院門跡は、青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂門跡と並ぶ天台宗山門派の五大門跡寺院のひとつ。 もともとは比叡山西塔にあっ…

広隆寺の圧倒される空間

電車が嵐電嵐山本線帷子ノ辻駅に入る 広隆寺については、前回少し書いた。600年代の初めの頃、秦河勝(はたのかわかつ)が建立した聖徳太子を本尊とする古いお寺だ。 jini3.hatenablog.com 残念ながら、保存修理中の桂宮院(国宝)と講堂を見ることはできな…

広隆寺に向かう太子道

京都市バスの太子道バス停 用事があって太子道(たいしみち)バス停で降りた。名前が気になったのでGoogleマップで調べてみると、バス停の辺りは旧二条通と新二条通が並行して走っている。新二条通を西に進み、一旦、葛野大路に出て、その先をまた西に曲がる…

千本釈迦堂では大迫力の仏像に出会える

鎌倉時代の1227年に完成した千本釈迦堂本堂 千本釈迦堂(大報恩寺)に行ってきた。千本今出川交差点から北に一筋目の五辻通りを西に入ったところにある。この辺りは応仁の乱の激戦区だったようだが、奇跡的に焼けずに残った国宝の本堂は1227年に完成した。 …

凱旋門のような梅田スカイビル

先に両側の2棟を建てた後、中央の空中庭園をリフトアップする工法を用いた 大阪へ行くたびに気になっていた梅田スカイビルに初めて行ってみた。大阪駅の近くに見えるひときわ個性的な高層ビルだ。 梅田スカイビルは、1993年に新梅田シティの中核ビルとして建…

昔はお寺が並んでいたアーケード街

大提灯のかかる寺町京極アーケード 寺町通のアーケードは四条通から北は御池通まで伸びている。寺町京極アーケードという名称で、1974年に竣工したとのこと。その後、1985年にカラー舗装がなされ、1996年と2006年にアーケード大改修が行われている。 寺町京…

山科の日野と小野

小野小町が晩年を過ごしたと言われる随心院 醍醐の花見で有名な醍醐寺の最寄り駅が地下鉄東西線醍醐駅。この一駅先が石田駅。ここから東に向かって坂道を登っていくと日野という地域がある。 日野には法界寺という国宝建造物がある。平等院鳳凰堂と相前後し…

和歌山田辺の世界遺産

熊野古道中辺路の起点・田辺にある闘鶏神社 平安時代、紀伊国の本宮、新宮、那智の熊野三山に参詣する熊野詣が盛んになった。特に院政期の白河上皇(72代天皇)から、鎌倉時代に入り後鳥羽上皇(82代天皇)までの約100年間には、97回もの上皇・法皇の御幸が…

なぜ、おばけ提灯?

高台寺和久傳のおばけ提灯 前回に続いて、高台寺ライトアップ(夜間特別拝観)の話。夏のライトアップは、8/1〜8/18まで実施されており、この期間中、方丈の前庭と勅使門の壁面を使った「百鬼夜行」のプロジェクション・マッピングが楽しめる。 行ってみて気…

北政所の高台寺

当時のままで残っている高台寺開山堂 高台寺のライトアップに行ってきた。猛暑が続いていて、日が暮れてもまだまだ暑い。 高台寺は、1606年に秀吉の冥福を祈るため、北政所ねねが建立した。北政所は仏門に入り高台院と称した。家康は高台院を手厚く扱い、配…

虎は毘沙門天のお使い

毘沙門堂門跡へは、山科駅から緩やかな坂道をずっと登っていく 毘沙門天を辞書で調べてみると、ブリタニカ国際大百科事典には次のように説明されている。 仏像の四天王の1つで、北方の守護神。四天王がそろっているときは多聞天といい、独尊のものを毘沙門天…

新京極は松竹発祥の地

四条大橋のたもとに建つ南座 MOVIX京都で「ミッション・インポッシブル」の新作を観てきた。松竹は、発祥の地である新京極に4か所の劇場施設を運営していた。その歴史は松竹のホームページに詳しい。 www.shochiku.co.jp 一つ目は新京極阪井座、後に新京極歌…

ゆっくりと時間が過ぎる嵯峨野

大覚寺の大沢池は人工湖 嵐山の北側が嵯峨野になる。桓武天皇を父に持つ嵯峨天皇が嵯峨離宮を造営した。876年にこの離宮を寺に改めたのが大覚寺である。 大覚寺の西方には1016年開山の清涼寺(嵯峨釈迦堂)がある。もともとは嵯峨天皇の皇子である源融(みな…

嵐山観光では山にも登ってみたい

嵐山公園展望台付近から、右の手川沿いに星のや京都 今年3月の事故で保津川下りは一時中止されていたが、この終点が嵐山の渡月橋を少し上がったところにある。この着船場から上流に向かって少し歩き、山側に入って行くと嵐山公園亀山地区になる。道なりに山…